辺野古土砂搬出反対運動の広がり
「辺野古土砂搬出反対」全国連絡協議会 共同代表 阿部悦子
私が辺野古の埋め立てで、瀬戸内海の土砂を搬出する計画があるのを知ったのは、2013年の3月のことです。たまたま沖縄を訪問して戦跡などをめぐり、辺野古にも立ち寄った翌日のことでした。
3月27日付けの「琉球新報」の記事では、「土砂調達1300億円相当」「防衛局の内部資料」「採取場所として瀬戸内など9箇所から」というものでした。私が辺野古への土砂搬出問題に関わったきっかけです。「本土」にいたのでは知り得ない内容でした。
小豆島の灘山採石場
私は、1990年に発足した環境団体、環瀬戸内海会議の代表を務めてきましたが、辺野古の海の破壊が瀬戸内の破壊を伴うという記事に驚きを禁じえませんでした。
2013年5月、環瀬戸内海会議の「第25回総会」が、兵庫県姫路で開催され、瀬戸内海からの土砂搬出問題が情報共有され、阻止に向けて行動していくことが確認されました。
同年、12月27日には、前沖縄県知事の仲井真弘多知事が、「埋め立て承認」を、表明するのですが、当会はその数日前の12月24日に、沖縄県知事、環境省、防衛省に対して「反対の申し入れ」を同時並行的に行いました。
翌2014年は、名護市長選、県知事選、衆院選が相次いで行われ、「新基地反対」を公約した候補が、全ての選挙区を制したのでした。
こんなときに奄美大島から行動が起こされました。2014年秋のことです。私は招かれて今年1月に奄美を訪れ、辺野古土砂問題で奄美と瀬戸内海がつながったのでした。その後、2月には、「自然と文化を守る奄美会議」と「環瀬戸内海会議」が連名で環境省、防衛省に申し入れました。
次いで、奄美会議は、5月の終わりに次なる集会を企画。土砂採取によって、1本しかない町への道が分断されてきた「市集落」で潜水調査を行い、山と海の汚染がつながっていることを確認、公表してくださったのは、北海道大学の向井宏名誉教授と日本自然保護協会の安部真理子さんでした。かつての豊穣の海が土砂採取によって「死の海」となっていたことは、大きな衝撃でした。このときに参加した西日本の7団体が、「辺野古土砂搬出反対」全国連絡協議会を、立ち上げたのです。同時に沖縄県議会から与党会派の7人の議員がオブザーバー参加をされて、生物多様性の観点から「県外の土砂搬入時の規制」についての条例作成の準備が行われていることが報告され、7月には条例が制定されました。
与党会派の県議会議員とともに沖縄県副知事と面談(9月3日)
内閣府に署名を提出(10月15日)
発足から4カ月余り、10月3日には、長崎県で第2回総会が行われましたが、鹿児島県奄美大島、福岡県門司区、熊本県天草、長崎県五島、香川県小豆島などからも参加があり、ネットワークが広がっています。
5月から始めた「搬出反対署名」は、5万2千筆を越えて、10月15日には総理大臣宛提出し、環境省と防衛省にも申し入れを行いました。
「ふるさとの土を一粒たりとも戦争に使わせない」という、私たち「本土」の共通認識をさらに広げて、辺野古の新基地を阻止していきたいと思います。
(ラムネットJニュースレターVol.21より転載)
2015年11月22日掲載