鬼怒川堤防決壊を教訓に流域治水への転換を

ジャーナリスト まさのあつこ

 9月10日に起きた利根川支流の鬼怒川堤防の決壊は、ダムに頼る治水が「安全神話」に過ぎなかったことを私たちに教えました。上流には湯西川ダムなど4基のダムがありましたが、利根川との合流点に近い下流には、高さや幅が不十分な堤防や無堤防の地域が残され、決壊や溢水によって40km2の浸水被害が出ました。ところが、9月18日、国土交通省関東地方整備局(以後、関東地勢)は、ダムがなければ決壊地点で30cm水位が高くなり、被害は拡大したとダムの効果をアピールしました。呆れた感覚です。

鬼怒川堤防決壊で被害を受けた茨城県常総市三坂町(9月14日筆者撮影)
鬼怒川堤防決壊で被害を受けた茨城県常総市三坂町(9月14日筆者撮影)
1都5県で闘われた八ッ場ダム住民訴訟は、最高裁でも「ムダ」と判断されず、本体工事が始まった。(6月28日筆者撮影)
1都5県で闘われた八ッ場ダム住民訴訟は、最高裁でも「ムダ」と判断されず、本体工事が始まった。(6月28日筆者撮影)

■漁業資源に打撃を与える「霞ヶ浦導水事業」
 約1カ月後の10月15日、関東地勢は今度は被害県である茨城県を含む流域1都5県を集め、利根川・江戸川河川整備計画の変更原案として「霞ヶ浦導水事業」を盛り込むと説明しました。
 利根川の河川整備計画は、1997年の河川法改正以来、本来は住民意見を反映し、環境保全を目的に加えて策定されるべき20〜30年の計画でした。長年、放置された挙げ句、反対の声が強かった八ッ場ダム(群馬県)とスーパー堤防(東京都江戸川区)を位置づけて2013年に策定されました。そこには鬼怒川の堤防整備は含まれていませんでした。後回しにされた中での堤防決壊だったのです。
 それを変更するとあって、今度こそ鬼怒川堤防を最優先で盛り込むのかと思いきや、「過去の主な洪水」に「平成27年9月洪水」として「約4050ha、約1万1400棟の浸水被害が発生した」事実が加わっただけでした。その代わりに加わったのが昨年の事業検証で「継続」とされた「霞ヶ浦導水事業」です。これは利根川・霞ヶ浦と、その北部を流れる那珂川とを「導水管」で繋いで2河川の水を混ぜて利用する事業です。不要不急である上に、那珂川で漁業を営む漁業者は「アユ・シジミを始めとする那珂川の漁業資源が損なわれる」と大反対です。工事差し止め裁判も闘われましたが、今年7月の水戸地方裁判所の判決は虚しく事業を止められず、原告は控訴審へと突入しています。
 今回の利根川・江戸川河川整備計画「変更原案」は、「河川管理者」の言いなりで被害が起きてなお、ハード対策を主役とする治水・利水政策は変わらないことを国が宣言したかのような「事件」です。

石木ダム建設のための立ち退きを求め、土地家屋調査に立ち入ろうとする県職員に「我々は土地も家も売らない」と拒絶する地権者たち(8月30日筆者撮影)
石木ダム建設のための立ち退きを求め、土地家屋調査に立ち入ろうとする県職員に「我々は土地も家も売らない」と拒絶する地権者たち(8月30日筆者撮影)
スーパー堤防事業
関東地勢がスーパー堤防事業を始めた江戸川区北小岩1丁目(中央左側)は、蛇行の内側に位置し、昭和22年のカスリン台風でも浸水しなかったすでに安全安心な地域で、9月の台風でもビクともしなかった(9月11日筆者撮影)

■リスク情報の周知による事前の備え対策
 こうした政策は、事前の備えを優先して目指す「滋賀県流域治水の推進に関する条例」とは対照的です。この条例は、住民に浸水想定情報を開示して周知させるなど、人命被害と生活再建が困難となる被害を避けることを最優先に2014年に成立しました。「盛土構造物設置等ガイドライン」や「耐水化建築ガイドライン」などを策定し、浸水警戒区域での建築制限などにより産業界にも警鐘を鳴らす政策です。河川管理者が主導して線状の「河川」に設ける構造物に依存し過ぎず、「流域」の住民を主体とした政策です。何事においても先進的な施策は自治体から始まるのが日本の公共政策における不文律ですが、治水も例に漏れなかったようです。
 しかし、旧来型のダムに頼る治水・利水を進める自治体は後を絶ちません。長崎県(中村法道知事)は浸水被害が出た流域に住宅開発を認めた上で、あり得ない過大な水需要増加を前提に、13世帯の住居田畑を強制収用してまで石木ダムを進めようとしています。
 関東地勢は、スーパー堤防事業を、東京都江戸川区のまちづくり事業と組み合わせて着々と進めています。しかし、住民にとっては二度の立ち退きを要するため、生活設計がズタズタになる「まち壊し」土木事業だと批判されています。しかも現在実施中の北小岩1丁目ではすでに緩傾斜堤防が完成し、二重投資に他なりません。
 一方、同じ利根川の鬼怒川の決壊・溢水は、堤防が低いことや無いことを知りながら、住民の声が河川管理者に吸い上げられずに後回しにされたことによる「人災」です。これを教訓に、住民主体の流域治水が国全体の政策になるよう声を上げることが必要です。

ラムネットJニュースレターVol.21より転載)

2015年11月22日掲載