足利由紀子さんと中津干潟
水辺に遊ぶ会事務局 山守 巧
昨年10月にNPO法人水辺に遊ぶ会の創始者、足利由紀子理事長が他界いたしました。57才でした。会の創立は1999年7月なので、21年にわたって「中津干潟」の保全活動を牽引してきたことになります。その間、愛車のジムニーを駆り、休みだろうが夜中だろうが関係者から声がかかれば(文句は言いつつも)いつも笑顔で飛んでいきました。
活動の中心は、自ら名付けた「中津干潟」を人々に知ってもらうことでした。開発の是非や特定のイデオロギーからは一歩引いて、とにかくまず、干潟で遊んで、体で感じてもらうことを大切にしました。その上で、目の前にかろうじて残っている干潟の自然の価値を改めて人々に問いました。そして、干潟の海を好きになってもらいたいと願いました。彼女自身、中津干潟のことが大好きでした。
大きなスポンサーもないまま、年数十回の観察会や講演会、シンポジウムを開催し、論文やエッセイなどの執筆も精力的に行いました。活動は多くの人々の賛同を得て広く評価され、世界湿地賞、4件の大臣表彰、沼田眞賞、知事表彰、日韓国際環境賞などを授賞しました。また、行政が既決した事業を再考し、コンクリートから多自然型のセットバック護岸へ変更するという前代未聞の事業にも深く関与しました。
足利由紀子さん
中津干潟
しかし、振り返って中津干潟の現状を見ると必ずしも保全が達成できているとは言えません。多くの人々に理解され、自然や保全活動も高い評価をいただいていますが、公的拘束力を持つ保全の網はかけられていません。あの精力的な足利理事長が20年以上、さまざまな手段を用いてこの課題に挑み続けましたが、ついに叶いませんでした。
のこされた私たちは、「中津干潟の母」とも言える彼女さえ達成できなかった、この課題に立ち向かわなければなりません。壁の高さは尋常ではありません。ただ、その昔観察会に来ていた幼い子どもたちも成長し、今、会の支援を申し出るようになってきました。未来は明るいと信じます。
(ラムネットJニュースレターVol.43より転載)
2021年05月22日掲載