松川浦の美しい自然と人々の暮らしを取り戻すために
はぜっ子倶楽部代表/ラムネットJ理事 新妻香織
■地震、津波、原発事故、そして風評と四重苦の福島
相馬市民の宝物だった福島県立自然公園松川浦は、3月11日の大津波で大きく姿を変えました。日本の渚百選に選ばれた美しい砂州はずたずたに寸断され、松並木は根こそぎ引きはがされました。昨年、ラムサール条約の潜在候補地に選定された東北で最も生物多様性の高い700haの潟湖は潮位が変わり、干潟も随分消滅しました。4月から専門家らとはぜっ子倶楽部は生きものの消息を訪ねて何度となく松川浦に入りましたが、シンボルのヒヌマイトトンボはまだ見つからず、確認された底生生物の数もかつての3分の1しかありません。
あの日から8カ月が過ぎ、現在、松川浦の澪を掘りなおす工事が進んでいます。船が通れるようになれば、浦の中の瓦礫は間もなく撤去されるでしょう。しかし漁師らが漁を再開したとて、福島の魚を買ってくれる人はありません。黒潮と親潮が交わる日本有数の漁場が高濃度の放射能で汚染されてしまったのです。原発事故は福島を徹底的に叩きのめしたのです。
震災後の野崎湿地(撮影:村上敏文)
鵜ノ尾岬トンネルから眺めた震災後の松川浦
■美しい松川浦を取り戻すことが、私たちを救うことになる
第1回松川浦の未来を語るゼミナールでは前福島県知事の佐藤栄佐久さんが講演
しかし私たちはいつまでも後ろばかり向いているわけにはいきません。私たちが希望を抱いてもう一度歩み出すためには、新しい暮らしのためのビジョンが必要です。そして美しい松川浦をもう一度取り戻すことが、私たちを救うことになると考えました。
そこで私たちが立ち上げたのが「松川浦の未来を語るゼミナール」です。松川浦と共に生きてきた人々が毎月1回、講演会やシンポジウム、あるいは市民会議でオピニオンリーダーに学び、自由闊達に思いや理想を語り合いながら、自分たちの町を再建していくためのビジョンづくりを試みようというものです。これは散り散りになった住民を再びつなぎ戻す機会にもなることでしょう。そして20年後、30年後を生きる子供らがわくわくしながらまちづくりに参加できるように「松川浦未来地図コンテスト」も開催します。これは被災地域の白地図に、未来の町を自由に描いてもらおうというもので、絵の苦手な子供たちのためには作文部門も。秋ごろから募集を開始し、冬休み明けに審査、優秀作を冊子にまとめたいと思っています。
津波で壊滅した相馬原釜漁港
数度にわたるヒヌマイトトンボの調査も、確認ゼロ
■松川浦を競艇場に!?
今、相馬市では「松川浦で競艇を」などというびっくりするような話が持ち上がっています。松川浦の環境保護活動は、この次元と折り合いをつけなければならなくなったのです。ただただ「反対」だけでは人々が飢えてしまいます。そのためにも私たちは持てるアイディアを出し合い、早急に雇用対策に取り組まなければなりません。たとえば大型冷凍庫や倉庫を建設し、まずは水産加工場をスタートさせることが必要でしょう。加工に使う魚は他県や海外から持ってきてもいいのですから。それから本物志向の観光地づくりのために知恵を絞らなければなりません。景観と美味しい魚が売りだった松川浦でしたが、それがなくても人を呼べるような工夫をまち全体でしていくしかないのです。一歩間違えると、松川浦存亡の危機となるかもしれません。環境保護活動も正念場です。
(ラムネットJニュースレターVol.7より転載)
2011年11月22日掲載