長良川河口堰の開門をめぐって
長良川市民学習会 武藤 仁
長良川河口堰建設開始から23年。堰の閉鎖から16年。工業用水の水源確保を最大の目的に建設された施設ですが、未だ一滴の水も工業用水に使われていません。使われているのは僅か16%。水道水として使われていますが、住民からは「まずい!元の水源に戻してほしい」と声が上がっています。
海と川を分断した河口堰の下流側には約2mのヘドロ層が堆積し、日本でも有数のシジミ漁は大きなダメージを受けました。堰き止められた上流側は、潮の干満がなくなり、水面は上がったままとなりました。長良川下流域生物相調査団の報告書によると、広大なヨシ原は水没し90%が消滅。そこに生息していたオオヨシキリは1/4程度に減少し、多くの生き物の棲みかがなくなりました。
長良川河口堰建設前の夜明けの写真。長良川を真ん中に木曽三川が伊勢湾に流れ込む。撮影:磯貝政司氏(1988年)
河口堰上流側のヨシ原は、水没し減少し続けている。(2010年4月撮影)
河口堰は多様な生き物の生息場所であった汽水域をなくしました。堰は、川と海を行き来するアユやサツキマスなど回遊魚の大きな障害となり漁獲量は激減しました。
誰の目にも明らかな環境悪化の中で、堰の開門を求める世論は高まっています。国土交通省と水資源機構は、環境改善策として2011年4月から「更なる弾力的運用」を開始しました。しかし、これは「塩水を上流に絶対入れない」という限定的なもので、汽水域の回復を求める世論の「開門」と全く違うものでした。
河口堰下流側に堆積する真っ黒なヘドロ
開門をめざす動きは、2011年2月「開門調査」を共同マニフェストに掲げた大村愛知県知事と河村名古屋市長の当選で大きくなりました。公約にそって大村知事は6月、長良川河口堰検証プロジェクトチーム(PT)を設置しました。PTはその下に専門委員会を設置。これらの論議は一貫して公開で傍聴者の発言も許されるというこれまでにない画期的なものでした。専門委員会は開門賛否の激しい論議を経て11月「5年以上の開門調査」を提言する報告書を発表しました。
私たちはこの報告書を歓迎します。しかし、河口堰の有効性を主張し、甚大な環境悪化を認めようとしない国や一部の学者は、報告書に猛反発。開門の動きを止めようと必死です。今後、岐阜県や三重県との協議など開門調査に向けたハードルはたくさんあります。
こうした中、私たち長良川やCOP10にかかわって活動する市民団体の呼びかけで、河口堰開門と生物多様性をテーマにしたシンポジウムが12月に開催されました。大村知事や河村市長も臨席。シンポジウムでは「よみがえれ長良川!よみがえれ伊勢湾!」のアピールを採択し、開門調査実現をめざす決意を参加者一同で確認しあいました。
(ラムネットJニュースレターVol.8より転載)
2012年03月01日掲載