大地震・大津波から3年 三陸の渚と干潟:これまでとこれから

岩手医科大学・共通教育センター生物学科教授 松政正俊

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 岩手県・宮古湾の最奥部には、津軽石川が流れ込んでいます。たくさんのサケが遡上することで知られ、その名は津軽の黒石・浅瀬石川から御神石を譲り受けたことに由来すると伝えられています。この川の河口左岸から湾央に向かっては、泥・砂・礫の干潟が続き、岩手で最大規模の塩性湿地が見られます。15年前の環境省「日本の重要湿地500」の選定にあたっては、この場所を山田湾の織笠川河口干潟、大槌湾の鵜住居川河口干潟、宮城県・追波湾の北上川河口干潟および長面浦とともに推薦し、その後、全国的な調査の一環として、これらの地域の底生生物の調査を担当しました。2002年の調査では、津軽石川河口干潟の底生動物として42種を記録し、特にオオノガイ、ナミガイ、アサリ、イソシジミ、ソトオリガイなどの二枚貝が豊富に生息することを報告しました。3年前、大地震と大津波は、ここにも容赦なく襲いかかりました。
 2002年の調査は8月初旬に行いましたので、同じ方法での調査を2011年の同時期に実施しました。それに先立つ6月の予備調査では、スジエビモドキ、ケフサイソガニ、モクズガニといった移動性の高い表在性動物や、マガキやフジツボ類などの付着動物が比較的多く確認されていました。このことから生物は意外に早く回復しそうに思われたのですが、8月の本調査の結果は愕然とするものでした。埋在性の二枚貝が見つからないのです。5m四方のコドラートを掘り返し、以前ならアサリやオオノガイなどの二枚貝がザクザクと出た同じ場所で、見つかったのはアサリとカガミガイそれぞれ1個体のみでした。その他に出てくるのは死殻ばかり。ゴカイやヨコエビの仲間もほとんど出てこない、異様な状況でした。

津軽石川河口干潟
津軽石川河口干潟での調査の様子。(2012年7月、松政)
広田湾小友浦
広田湾小友浦。かつて干拓地であった礫底には多数のマガキが付着している。沖側には決壊した堤防が見える。(2013年8月、松政)

 3年が経ち、幸い生物は戻りつつあります。現代社会にとっては稀で、対応が難しい大規模撹乱も、長い進化の過程で獲得された遺伝子には1つの要素として刻み込まれているのかもしれません。しかし、忘れてはいけないことは、このような撹乱からの生態系の回復の仕方を、私たち人間は知らないということです。津軽石川河口干潟は、確かに賑やかになってきました。ただ、生物相は年によって大きく変化し、私たちにとっては予期しない出来事も多いようです。2012年にはムラサキイガイが大繁殖しました。堤防に近い泥干潟に見られたホシムシの仲間や、その周囲の水脈に残っていた塩性植物のシバナとウミミドリは、確認できなくなりました。2013年の春にはソトオリガイが大量に定着し、その後激減しました。また、広田湾ではヒラムシが大増殖しました。それぞれの種の個体群変動が極めて大きい状況が続いているようです。科学的根拠は未だ希薄ですが、三陸沿岸の生態系は不安定で、脆弱な状況にあるのかもしれません。
大槌湾鵜住居河口域

大槌湾鵜住居河口域に発達しつつあるヨシ原。現在の三陸沿岸ではヨシ原そのものが貴重である。(2013年8月、松政)

 2012年の春、津軽石で知り合った漁師のMさんから、次のような話を聞きました。津軽石川にはたくさんのサケが溯るだけではなく、かつてはウナギも多く、獲ったウナギを売って子供たちの野球チームのための用具を買い揃えた程だったそうです。少なくなって久しく、それは3年前の地震・津波のせいではありません。広田湾の小友浦も1960年頃の干拓までは、そんな豊かな場所だったようです。現在の小友浦の一部には潮が差し込み、マガキやアサリなどの有用水産種を含む多くの底生生物が生息しつつあります。大槌湾の鵜住居川河口干潟は、美しい砂浜とともにそのほとんどが消失してしまいました。しかし、新しくできた干潟域には、やはり豊かな生態系が発達しつつあります。
 この3年間は生態系の変化を追ってきましたが、これからはその変化への人の影響を見極めることが中心になるかもしれません。素人考えではあるものの、地震・津波に真っ向から対抗するには、相応のエネルギー投資が必要なはずです。不安定で脆弱な状態にあると考えられる三陸の沿岸生態系にとっては、3年前の地震と津波を凌ぐ大規模撹乱になり得ます。かつてのようにサケ、ウナギ、カキ、アサリが溢れる豊かな三陸の生態系を取り戻し、後世に残すこと、それが私たちの使命です。残すべき渚と干潟は死守して行かなくてはなりません。

ラムネットJニュースレターVol.15より転載)

2014年03月20日掲載