東日本大震災から3年 松川浦の生態系の回復と地域の復興

はぜっ子倶楽部代表/ラムネットJ理事 新妻香織
写真提供:鈴木孝男

 震災直後の2011年4月、はぜっ子倶楽部は松川浦で調査をしていた専門家らに呼び掛けて初めて松川浦に入ったが、まるで別の惑星に来たかと思われるような破壊ぶりに、一同声も出ず佇んだ。松並木は消え、決壊した砂州の部分からはどんどん太平洋の荒波が押し寄せ、干潟が消滅して生きものの気配はどこにもなかった。前年には環境省のラムサール条約の潜在候補地に選ばれていただけに、参加者一同悔しさが募った。
 しかしこのような大きな撹乱を経ても、生物は意外とたくましく生き延びていた。決壊部分がふさがり干潟が現れてくると、1年目で3分の1ほどの底生生物の種類が戻り、数こそ少ないが、今ではその種類はほぼ震災前まで戻っていることが専門家の調査で分かった。また植物は種が方々に拡散し、人の入らなくなった土地で絶滅危惧種がいくつも繁茂している。また鳥類の専門家によると、シギ・チドリの種類が増え、コクガンまでが松川浦周辺に南下しているのが毎年確認されている。

松川浦の鵜の尾干潟周辺を上空から撮影。大洲海岸の決壊箇所は修復されており、干潟も震災前に近い形で出現するようになった(2013年5月31日)。
松川浦の鵜の尾干潟周辺を上空から撮影。大洲海岸の決壊箇所は修復されており、干潟も震災前に近い形で出現するようになった(2013年5月31日)。
鵜の尾干潟では、ところどころにアマモの生育も認められ、さまざまな生きものが見られるようになった(2013年5月28日)。
鵜の尾干潟では、ところどころにアマモの生育も認められ、さまざまな生きものが見られるようになった(2013年5月28日)。

 最初の落胆から一応胸をなでおろしたが、松川浦で震災後に最も問題になるのは復旧・復興のための開発だろう。松川浦は県立公園としての福島県、国有林、相馬市、道路の国交省、護岸などの港湾事務所、そして地元漁協と6団体が絡んでいるので、福島県の相双農林事務所が声掛けをして合同の会議がもたれている。
 例えば大洲海岸の県有地に関しては、最初3mの矢板を打ち、全面平らに盛り土し松を植栽する計画が上がってきた。しかしこれでは干潟が消滅してしまうので、福島大学の黒沢高秀教授(植物)と一緒に再検討を願い出て、盛り土に勾配をつけ、西側海岸部に移行帯を作り塩性湿地の保護区域を計画に入れることができた。国有林に関しても、現地調査の申し入れをし、底生生物の鈴木孝男東北大大学院助教、黒沢教授にご同行願い、残すべき水路や地形、県有地との接合部、矢板を打つ時期、根固め石の置き方など細かい指示を入れ、予想していた以上の計画図が上がってきて安堵した。

宇多川河口と小泉川河口の間には農地や荒れ地があったが、ここに海水が入り、新たな塩性湿地が誕生した。ホソウミニナやアシハラガニなどが暮らしている(2013年6月12日)。
宇多川河口と小泉川河口の間には農地や荒れ地があったが、ここに海水が入り、新たな塩性湿地が誕生した。ホソウミニナやアシハラガニなどが暮らしている(2013年6月12日)。
松川浦の通水口に近いところにある川口前の元アサリ漁場。土盛りをして干潟造成したところではアサリを始め多種類の底生動物が出現しはじめている(2013年9月4日)。
松川浦の通水口に近いところにある川口前の元アサリ漁場。土盛りをして干潟造成したところではアサリを始め多種類の底生動物が出現しはじめている(2013年9月4日)。

 一方、問題のある計画もある。例えば、松川浦の海苔養殖業者らが、種付け場の砂がえぐれてしまったことを理由に、松川浦最大の島中州の10%(1・2ha)を削って海苔の種付け場を作るという計画。「まずはえぐれた所に砂を戻して復旧することが先」と県に反対の申し入れをしている。
 また、松川浦西端の野崎湿地は津波でヨシ原が壊滅、以来ヒヌマイトトンボの姿は見られなくなった。周辺の道が地盤沈下で冠水がひどくなったことから、この湿地を経由する排水事業が今進行中だ。残念ながら、隣接する大排水路を埋め立てて排水機場を建設、湿地の半分の水も強制排水される計画だ。これには請願書まで提出して反対したが、地元住民が500筆を超える署名を集めて要望書を上げ、諦めざるを得なかった。
 強力なリーダーシップをとる市長の腕力により、相馬市は「復興のトップランナー」といわれるほど復興が進んでいる。しかし復興の名のもとに、住民や専門家らの意見を聞くことが疎かにされているのを嘆かざるを得ない。まだまだ松川浦周辺では設計段階で、住民との悶着が続いているものも多々ある。賛成反対必ずあるが、熟議を経て決定されるよう奔走しなければならない。

ラムネットJニュースレターVol.16より転載)

2014年06月23日掲載