失われた北川湿地の教訓を今後に生かすために
三浦・三戸自然環境保全連絡会代表 横山一郎
神奈川県三浦市三戸にあった北川流域は、市街化区域でありながらも数十年間開発されず放置されていた水田跡地で、不思議なことに遷移が進まず良好な湿地環境を維持していました。しかし、周りを急な斜面に囲まれていたために、その存在が広く知られなかった場所でした。この土地が将来は宅地になることを長年待ち続けた三浦市と三戸の住民に対して、買収や換地により土地所有者となった京浜急行電鉄(株)は、2009年、「宅地化は大変に厳しい」といいながら、宅地開発の準備事業として発生土(残土)処分場建設を開始したのです。私たちが開発計画に気が付いたとき、すでにアセスの手続きが終盤に差し掛かっており、保全活動は困難を極めました。なぜなら、市街化区域の民有地で、三浦市は計画通り宅地になって欲しいというかなわない夢を追い続けていましたし、神奈川県は隣の小網代の森を保全することで手一杯で、環境アセス条例の手続きでは「保全対策が不十分」と指摘しながらも、不十分な保全対策のまま土砂条例において発生土処分場建設が許可される仕組みしか持ち合わせていなかったからです。また、別の見方をすれば、小網代の森を守るために北川流域の湿地を埋めることを認めざるを得なかったともいえる状況でした。
在りし日の北川湿地の景観。ヨシ・ガマなどが優占する開けた明るい湿地で、足元には常に潤沢な水が流れていた。神奈川県でメダカ(ミナミメダカ)が泳ぐ最後の自然河川であった。夏にはゲンジボタルやヘイケボタルの乱舞も見られた(2008年5月16日)
土砂で埋められ、かつての面影さえなくなった現在の北川湿地跡。最上流部まで重機やトラックが入り、斜面林は根こそぎなぎ倒された。この先どれだけこの殺伐とした景観を眺めなくてはならないのだろうか(2015年12月6日)
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私たちは、まず民事調停を起こしてこの問題を広報しました。また、全部で5回のシンポジウムを行ったり、いろいろなイベントで今にも埋められようとしている湿地のことを訴え続けたりしました。ラムネットJ関係では、第5回日韓NGO湿地フォーラムで講演させていただき、その共同声明の中にも盛り込んでいただきました。現状をそのまま保全することは土地所有の状況から無理だと思われましたので、宅地開発や発生土処分場に代わる事業対案として「エコパーク構想」を策定し、冊子にまとめて公表しました。しかし、事業は急ピッチで進められました。「裁判は最終的な解決手段にならない」と思いながらも、最後は裁判しか手立てが残されていませんでした。そして、弁護団にご支援いただきながら差し止め訴訟を行いましたが、2011年3月、敗訴しました。
「失われた北川湿地 なぜ奇跡の谷戸は埋められたのか?」は、北川湿地の自然の記録と、私たちの活動の記録です。今後の環境保全運動に役立てていただければ幸いです。ぜひお読みください。
2016年02月18日掲載