諫早湾閉め切りから20年

有明海漁民・市民ネットワーク/ラムネットJ理事 陣内隆之

 1997年4月14日の諫早湾閉め切りから20年、諫早湾の水門開放を求める闘いは今も続いています。水門開放を命じる判決が確定(2010年12月)してもなお、国は、長崎県の一部の開門阻止派と結託して、開門に抵抗を続けています。確定判決後も次々と訴訟を起こし、義務である開門の執行力を排除しようとしています。

1997年4月14日の諫早湾閉め切り

1997年4月14日の諫早湾閉め切り

 20年前、ギロチンと称された衝撃的な閉め切りの映像は、諫早湾干拓事業の問題を全国に知らせました。広大な干潟に累々と重なるハイガイやカキの死骸、死滅した生物が放つ腐臭に、私たちは、「有明海の揺りかご」といわれた干潟の生物生産性の高さを思い知らされることとなりました。2000年12月にはノリの大不作が有明海奥部の広範囲に広がり、救済すべき対象が諫早湾干潟から有明海に拡大しました。干拓工事を中断に追い込むほどの漁民の抗議行動が起こり、農水省は第三者委員会設置で乗り切ろうとしましたが、短期・中期・長期の開門調査を求める見解が委員会より出され、農水官僚は震え上がりました。それでも農水省は、「調査と事業は別」との論理で工事を再開させ、2008年4月には完成した干拓地で営農が始まりました。
 この間、闘いの形は、長年干潟保護運動の先頭に立ってきた山下弘文さん(2000年7月没)を中心とする市民運動から、山下さんの活動をベースにした漁民・市民・研究者・弁護士などのネットワークへと広がり、よみがえれ!有明訴訟を中心としながら運動が進められていきました。

 一方、国は中長期開門調査を行わない代わりとして、特措法を成立させ、これに基づく有明海再生事業が2004年から続けられています。これまでに農水省関連の予算だけで約430億円が注ぎ込まれましたが、漁業被害(特に漁船漁業)は深刻化するばかりです。昨年1月から長崎地裁で始まった和解協議で、国は「開門しないことを前提とする」基金案での和解を有明海漁民に強要してきましたが、開門しない基金案では有明海再生が実現しないことは実証されているのです。ところが、長崎地裁は、国の基金案を確定判決に代わるものとして国の下請けのように強要したあげく、漁民側がこれを拒否すると、本年3月に和解協議を打ち切ってしまいました。
 和解協議をめぐっては、有明海沿岸の漁連漁協に国の基金案を受け入れさせるために、「想定問答」を使って水面下で漁連幹部を指導していることも明るみに出ました。国はこの資料の存在の有無すら答えないとしていますが、国に都合が悪い情報は隠蔽し、恫喝を織り交ぜながら漁民をペテンにかけて合意を取る悪質な手法は、「影響は限定的」とした環境アセス等で干拓事業の漁民同意を取り付けた交渉時と何ら変わりません。本年2月末の山本農水大臣の国会答弁では、確定判決を守る意思はないと開き直る傲慢ぶりです。水門開放を求める闘いが20年も続いている原因は、こうした国の不誠実な対応にあります。

カキ礁
閉め切り後、干潟の上に白く現れたカキ礁。上の方に見えるのが排水門
タイラギのグラフ
タイラギ漁獲量と干拓工事による諫早湾口での海砂の累積採取量。長崎県のタイラギは1993年から休漁が続いている(有明海漁民・市民ネットワーク発行「諫早湾の水門解放から有明海の再生へ」より)

 また、特措法の下に設置された有明海・八代海等総合調査評価委員会では、2006年度に続く報告を本年3月の委員会で取りまとめました。環境省・農水省を中心とする事務方に支配され、開門調査をタブー視する運営だったため、予想されたことではありましたが、有明海異変の原因究明に真摯に向き合うことなく、開門調査についての評価から逃げ、提言する対策も従来の対症療法的な再生事業の延長に終始する内容でした。
 水門開放をめぐる20年間の闘いを通じて、干潟の価値が見直されて各地の干潟保全につながったり、再評価制度の導入をはじめ公共事業を厳しく精査しようという機運が生まれました。また、閉め切りによる調整池の水質悪化と2002年の短期開門調査における調整池の一時的な水質改善が証明するように、複式干拓が環境悪化を宿命とすることも明らかになり、中海干拓の中止を後押ししました。しかし、司法を従属させ、法秩序を破壊してまでも省益を守ろうとする国家権力の暴走は一段と加速しています。
 ほとんど実収入がなく生活破綻に追い込まれている漁船漁業者にとっては、20年という月日はあまりにも長過ぎます。一日も早く開門を実現し、諍いを終わらせなければなりません。司法をも配下においた国の暴走を止めるには、大きな世論で政治を変えていくしかありません。

ラムネットJニュースレターVol.27より転載)

2017年06月09日掲載