那覇軍港の浦添西海岸移設問題
浦添西海岸の未来を考える会 里道昭美
Ⅰ 浦添西海岸の価値
沖縄の県都那覇市に隣接する浦添市西海岸は、米軍牧港補給施設の基地・基地水域にあった、サンゴのイノー(リーフ)が広がる自然海岸です。基地からの環境汚染はありましたが、開発はされず、自然の海が残されました。2008年に基地水域が返還されて2018年に湾岸道路が開通、今では商業施設もでき、県民が毎日、通勤にショッピングにと西海岸の自然に触れ、夕日に癒される、県民の憩いの場として愛されています。
広大なイノーには、タツノオトシゴ、クマノミ等々、多様な水中動植物が観察されます。カサノリなどの海藻やジュゴンの好む海草類の広大な藻場もあります。モズクの収穫もできる豊かな海です。2021年2月には、メダイチドリと思われる150羽ほどの渡り鳥の確認もありました。
サンゴのイノーが広がる自然豊かな浦添西海岸
浦添西海岸は、県民多数が暮らす那覇圏に残る唯一の故郷の海と言える、自然度の高い浅海域です。沖縄島では復帰後もなお基地に広大な土地が奪われ、埋め立てて開発するしかありませんでした。自然海岸は基地の中にしか残らなかったのです。しかし、私たちがやっと取り戻した、沖縄の原風景とも言える浦添西海岸を、埋め立てて再び米軍に差し出す計画が動き始めたのです。
Ⅱ 軍港移設の経緯
1974年、日米両政府は那覇港の最南端にある米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の、移設条件付き全面返還に合意しました。1995年、日米合同委員会で移設先を那覇港北端の浦添ふ頭地区(埋め立てて新設)と決定しています。那覇軍港は那覇空港に隣接し、県庁や国際通りまでわずか2kmと市街地に近く人口密集地にあります(沖縄の基地の多くは住宅密集地にあります)。復帰前のベトナム戦争中は物資の集積や輸送で利用されていましたが、その後長年利用は限定的で、遊休化していました。ところが、2020年8月突然動き出した防衛省に押される形で、浦添市長が軍港「移設」案(北側案)を了承してしまいました。
すると、那覇軍港返還を求める那覇市・沖縄県も反対理由がなくなり、これら3自治体が管理する那覇港の拡張計画として、国主導で動き出したのです。
日米地位協定第2条3項では、必要でなくなった施設はいつでも日本国に返還しなければならないと規定されています。2021年11月米軍は突然連絡もなしに那覇軍港にオスプレイを着陸させ、今年2月からはオスプレイと地上部隊による軍事訓練を開始しました。沖縄県は強く抗議しましたが、日本政府は本来の目的通りの使用だとして容認してしまいました。有事に備える基地だった軍港の機能を強化し訓練使用さえも既成事実化すれば、米軍はその条件で浦添「移設」できることになります。
浦添西海岸で自然観察を楽しむ人々
街頭で軍港建設反対をアピール
Ⅲ 課題
日米両政府は2013年「沖縄の基地負担軽減」だとして嘉手納基地以南の米軍基地返還計画を出しましたが、そこでは普天間基地返還の代わりに辺野古新基地建設が強行されています。辺野古の基地建設が技術的にも困難を極めているので、そこで狙われたのが浦添西海岸だとの論説もあります。浦添西海岸には、広大なキャンプキンザー(牧港補給地区)が隣接しています。新たな軍港建設で、返還の見通しはあるのでしょうか? 沖縄県内での基地のタライ回しで、果たして沖縄の基地負担軽減につながるか全く疑問です。日本政府の手で私たちの故郷のかけがえのない山々を破壊し、美ら海を埋め立てて、米軍に献上することを強要されています。
示された計画案では、巨大な防波堤が海を囲み、その中央に軍港があります。憩いの場となった夕日の見える海岸は、軍港の先にしか夕日を望めなくなります。防波堤構築と埠頭埋め立てによって外洋から浅海域への潮の流れは遮断され、一部の海域を環境保全区域に指定しても、浦添西海岸全体の決定的な環境破壊は避けられないでしょう。それは、泡瀬干潟や辺野古の埋め立てなどで繰り返し経験していることです。
軍港と隣接する民港部分の埋め立て計画も同時進行しています。米軍基地建設のためなら、巨大公共事業である港湾拡張も政府はどんどん推進します。埋め立てありきで、自然環境や地域社会への配慮が全く欠如しています。
この軍港移設問題は、まだ多くの県民が知らないで進んでいます。私たちはまず、県民に広く知らせ、沖縄の故郷の海を守りたいという声を全県に、そして全国に広げていきたいです。
(ラムネットJニュースレターVol.48より転載)
2022年08月10日掲載